2010年2月 2日 (火)

2が多い日

 

今日は、平成22日。

「なんだか、が多い日だな~」と思いつつ、ふと、思い出しました。

 

中学年の日。

これまた「今日はが多い日だな~」と思っていたその日の夕方。

部活帰りに、ひょんなことから、当時私が好きだった人に、友達を介して、

私の気持ちが伝わったらしく、相手も私を好いていてくれたことが判明。

「なんな~ん、あんたたち両想いや~ん」と友達に言われ、とっても嬉しかったこと。

生まれて初めて、男の子とつきあうことになった日なのでした。

 

同じクラスだったので、翌日、教室で顔を合わせたときに、妙に照れくさかったこと。

そんな中、担任の先生が「豆まきするぞ~」と言って、みんなで豆まきしたこと。

それまで、普通におしゃべりしたり遊んでいたりしたのに、お互い気持ちを知っただけで、

豆まき用の豆を、ただ配るだけなのに、ドキドキしてしまったこと。

 

こんな気持ちって、きっとこの時期にしか味わえない、独特なものだったんだろうな~と、

」が多くつく今日の夜、思い出したのでありました。

 

カッパ姫や息子氏、この先、数年後には、こんなふうなドキドキ感を味わうんだろうな。

いいな~。

その時って、母ちゃんに教えてくれるのかな~。

私は実家に住んでるから、カッパ姫と息子氏、母ちゃんの出身中学校に進みます。

ドキドキしたあの中学年生の教室にも、入るかもしれないよな~。

 

・・・と、次世代に妄想を馳せる母ちゃんなのでした。

2008年8月18日 (月)

命の日

今日はカッパ姫、6歳の誕生日。
そして、とてもお世話になった方の命日でもあります。

その方は、私が社会人バレーのチームに所属していたときから
お世話になっていた、同級生のお母さんでもあります。

いつも元気で、人の世話が好きで、子どもが大好きで、
本当にパワフルなおばちゃんでした。

6年前、カッパ姫が生まれたときには、涙を流して喜んでくれ、
すぐに産院にもご夫婦で会いに来てくれました。
まさか、4年後のその日に亡くなることになるとは予想だに
していませんでした。

4年前の8月初旬、道端でそのおばちゃんに会いました。
私は息子氏を妊娠中で、月末が出産予定だったので、 
「もうすぐやね。楽しみやね。」と話しました。
私は車、おばちゃんは徒歩だったので、車を止めて窓を開け、
ほんの少しの立ち話で終わりました。
これが、生きているおばちゃんとの最後の会話になってしまうとは、
夢にも思わずに。

それから10日ほど経った14日、私は息子氏を出産しました。
出産後、分娩室から病室に戻って30分も経たないうちに携帯が鳴り、
出てみると、そのおばちゃんの娘(私の友達でもある)からです。
 「体調どう?順調?」
 「ホントに今さっき生まれたんよ。1時間も経ってない。」
そう話すと、友達は泣き崩れ「良かった・・・」と絶句してしまいました。
喜んでくれるのは分かるけど、どうも様子がおかしいと思っていると、
 「無事に生まれたなら良かった。
  生まれてなかったら言わないでおこうと思ったんやけど、
  昨日お母さんが倒れて、今危篤の状態で・・・。」

出産直後なので、病院にも会いに行けず、おばちゃんの回復を
祈ることしかできない日が続きました。

息子氏が生まれた日に危篤の知らせを受け、
4日後のカッパ姫2歳の誕生日に、亡くなられました。

大好きなおばちゃんの命日が、カッパ姫の2歳の誕生日であることと、
おばちゃんが生死をさまよっている最中に世の中に生まれ出てきた
息子氏との関係性と、命のつながり・大切な人とのつながりを
考えずにはいられない、毎年の二人の誕生日です。

おばちゃん、子ども二人は元気に育ってますよ。
きっと、天国から見てくれてるよね。

2008年6月27日 (金)

思い出交差点

学生時代の、思い出の場所

十数年前の6月27日。

ここは、思い出交差点

写真は、先月出かけて撮影。

周りの建物は所々変わっていた。


遠く離れた場所なので、日常生活で通りかかることはない。

あのころ、今の私の生活は、想像もしていなかった。


いろいろあっても、時が過ぎ、ちゃんと思い出になってくれた。


この思い出の一つでも欠けていたら、

今の自分にはつながっていなかったんだろうと思うと、

こうやって人生を歩めていることは、幸運なことなんだと実感。


今、カッパ姫と息子氏の母ちゃんでいられているという、

自分の運命に感謝shine



 










2008年1月13日 (日)

和裁魂のあった頃

明日は成人の日ですね。


このピンボケ写真は、
私の成人式数ヶ月後に、学校の廊下で
撮影したものです。

(成人式当日の写真は行方不明shock

当時の写真プリントを携帯カメラで
撮ったので、画質悪いのですが・・・。

ちなみに、向かって左側が20歳当時の私です。


短大生時代に、「和裁」のゼミをとっていた私は、
卒業制作として、「袴と合わせ訪問」を縫いました。


2月半ばまでに仕上げれば良かったのですが、
どうせ縫うなら、成人式に間に合わせたかったので、
学校ではもちろん、寮に戻ってからも、ひたすらチクチク縫う日々でした。
  (和裁なのですべて手縫いです


その甲斐あって12月末には仕上がり、冬休みに地元に
帰省し、自分で縫った着物と袴で成人式に出することができました。


反物の代金は両親に出してもらいましたが、まわりのほとんどの人が着ている豪華な振袖よりは、お金dollarをかけずに、自分で満足のいく和装ができたと思っています。


袴だと、着物には不可欠な帯が不要なので、着付けも手軽だし、費用もかさまず、私にとっては持って来いでした。


訪問着は、その後2度ほど着る機会がありましたが、もう5年くらい袖を通していません。


娘の成人式か、大学まで進学したら卒業式に着てくれると嬉しいな・・・heartと秘かに思い、箪笥にしまってありますsmile

  
  ※ 写真右側の同じゼミの友達は、訪問着と帯も
    縫いました。帯は、自分のおばあちゃんの着物を
    もらって仕立て直した、味のある素敵な柄でしたshine






2008年1月 9日 (水)

親切な青年

あれは、昨年の9月のこと。

福岡市の大濠公園で、私の姉がデジカメを落とした。
公園にいたのは午後2時頃で、帰宅し、デジカメの紛失に
気付いたのは、夜の8時を過ぎていた。

公園事務所に電話をしてみたが、時間外のようでつながらず。
小雨も降ってきたことだし、屋外に置き忘れた感じなので、
もし探しに行っても、デジカメが使い物にならないだろうと
半ばあきらめかけていた。

私の息子の写真を撮ってもらっていた時の出来事なので、
放ってはおけず、ダメ元で、公園最寄りの交番に電話をかけてみた。

すると、なんと幸運なことに、拾ってくれた方が、交番に届けてくれているという。

高速道路をとばし、交番に到着。
詳細を聞くと、なんと届けてくれたのは、近くに住む青年
だという。

連絡先を聞き、電話にてとりあえずはお礼を述べた。

翌日、薄謝を郵送し、私の連絡先(メアドも)を記していたら、到着のメールを頂いた。
その内容がまた、素晴らしく感動した。

  「謝礼と、手書きの手紙までいただき、ありがとう
   ございました。
   僕は今、将来自分の店を持つために、調理師専門
   学校に通っています。 何年後かはわかりませんが
   いつか自分の店が持てたら、そのときは、手紙の
   お礼としてご招待させていただきたいと思います。」  
              (彼のメール要約を抜粋)


こんな心優しい礼儀正しい青年を、どうやって育てたのか、
彼のご両親にお聞きしてみたいものだ。

この青年、今も調理師免許取得に向けて、日々頑張っているんだろうな・・・と、陰ながら応援している私。
デジカメを落としてしまった事が発端となり、彼と素適な縁ができたことを本当に嬉しく思う。

できる事なら、ちゃんと会ってお礼が言いたいところだが、
それは彼の夢が叶ったとき、実現させてもらえるのだと、
楽しみにその時を待っている。

親切な調理師志望の青年さん、本当にありがとう。

2007年12月 3日 (月)

大事な大事なプレゼント


 昔、昔・・・私が中学3年生だった頃、大好きな人にもらった「バレーボールの赤シューズ」です。
 
 大好きなバレーを、大好きな人にプレゼントしてもらったシューズで出来heartなんて、当時の私は、毎日が楽しくて楽しくて仕方がありませんでしたsmile
 
 この、一足のバレーシューズが、学生から社会人になってもバレーを続けることになった原点ともいえます。もちろん、このようにボロボロなので、何度も買い替えはしましたが、これだけは使用しなくなっても、大事に取ってあります。

 このお気に入りのシューズが元で、私がずっとバレーを続けた事が、皮肉なことにその人との別れにつながるとは、当時は夢にも思わず・・・。

 ああ、やばい。思い出すと涙が・・・shock

 何があってもいまだに嫌いになれない好きな人からもらったこのシューズ、触ったのはかなり久しぶりだったので、初めて大きく写真に撮りました。